自叙帖とは?懐素が極めた奔放な狂草の筆致
自叙帖、中身は他人の称賛だらけ
唐代の僧侶書家・懐素(かいそ)が記した「自叙帖(じじょじょう)」は、その名の通り、自分自身について語った文章だと思われがちです。ところが実際に本文を読むと、懐素自身の経歴が語られるのは冒頭のごく一部にとどまり、残りの大部分は、顔真卿による称賛の文章や、当時の名士たちが懐素に贈った詩や評言の引用で占められています。
自分を語るはずの巻物が、気づけば他人からの称賛集になっているという構成の妙こそ、自叙帖という書を理解するうえで欠かせない出発点です。この記事では、自叙帖の内容と成立背景、懐素という人物、現存する故宮本の真跡性をめぐる学界の議論、そして臨書のポイントを解説します。
自叙帖とはどのような書なのか
自叙帖は、唐代の僧侶・懐素が記した狂草(きょうそう)の長巻です。巻末の記年は「大暦丁巳(だいれきていし)冬十月廿有八日」で、干支の丁巳は唐代宗の大暦12年(777年)にあたります。紙本・巻子で、現在は台北の国立故宮博物院に所蔵されています。
寸法や字数については、資料によって記載に幅があります。国立故宮博物院の鑑賞解説では縦28.3センチ・横755センチとされますが、別の記録では横775センチ、現行の典蔵データでは本紙実測773.7センチと記載されており、一致していません。行数・字数も、広く知られる126行・698字という数値のほかに、136行・702字とする資料もあります。この記事では、国立故宮博物院が公式に示す数値を基本としつつ、こうした記録の幅があることをあらかじめお伝えしておきます。
自叙帖の中身、経歴と他人の称賛
自叙帖の本文は、大きく3つの部分から構成されています。
まず冒頭、懐素は自分の生い立ちを語ります。「懷素家長沙。幼而事佛。經禪之暇。頗好筆翰(懐素の家は長沙にあり、幼くして仏門に入った。禅の修行の合間に、ことのほか筆を好んだ)」と、長沙で生まれ育ち、幼少期に出家したこと、座禅の合間に書に親しんだことを述べます。続けて「遂擔笈杖錫。西遊上國。謁見當代名公(そこで笈〈おい〉を背負い錫杖をついて、都へ遊学し、当代の名士たちに謁見した)」と、名跡に触れる機会が乏しかった地方の出身者として、自ら都へ赴いて見聞を広めたいきさつを記します。
ここまでが懐素自身の言葉による自伝部分です。続く部分では、顔真卿(がんしんけい、顔勤礼碑・祭姪文稿で紹介した書家)が懐素の草書を称えて記したとされる文章が引かれます。「開士懷素。僧中之英。氣概通疎。性靈豁暢(開士〈修行を積んだ僧〉である懐素は、僧侶の中でも傑出した人物で、気概は伸びやかに通じ、心根はさっぱりと開けている)」という評言もこの顔真卿の文章の一節であり、続けて杜度・崔瑗・張芝・王羲之・王献之・虞世南・陸柬之、そして張旭(ちょうきょく)へと至る草書の系譜の中に懐素を位置づける評が展開されます。
さらに本文の後半では、張謂・盧象・韋陟・王邕・朱逵・李舟・許瑤・戴叔倫・竇冀・銭起といった同時代の名士たちが懐素に贈った詩や評言が、次々と引用されていきます。
つまり自叙帖は、懐素自身の肉声による自伝というよりも、自伝的な導入のあとに、権威ある書家・名士たちからの称賛を大量に集めて配置した文章という性格が強いのです。ここから「自己宣伝のための巻物だったのではないか」という見方をする研究者もいますが、これはあくまで本文の構成から導かれる解釈であり、懐素自身がそう述べているわけではないことには注意が必要です。
故宮本は、懐素の真跡なのか
現存する故宮本の自叙帖は「唐・懐素」として国立故宮博物院に収蔵・展示されていますが、この現存本が本当に懐素自身の筆にそのままなるものかどうかについては、研究者の間で見解が分かれています。懐素の真跡とする説がある一方で、北宋時代の映写本(原本を忠実に書き写したもの)とする説、巻頭部分に後世の補筆が加わっているとする説、さらに明代の摹本(もほん)とみる説まで、複数の立場が併存しているのです。
その手がかりの一つが、巻末に付された明代の文人・李東陽(りとうよう)による跋文(ばつぶん、巻末に添える評)です。そこには「前六行。乃舜欽所補(前の六行は、舜欽〈北宋の文人・蘇舜欽〉が補ったものである)」と記されており、現存本の冒頭6行が、懐素自身の筆ではなく北宋時代に補われたものである可能性を示しています。
このように、自叙帖は「誰が、いつ書いたものが、現在の姿で伝わっているのか」という成立過程そのものが、今も研究の対象になっている書です。本記事では、国立故宮博物院が公式に「唐・懐素」として扱っている立場を基本に紹介しつつ、こうした議論があることも正直にお伝えします。
懐素、酒に酔って書いたと伝わる僧
懐素は、俗姓を銭(せん)といいます。蔵真(ぞうしん)という名でも呼ばれますが、これを字(あざな)とする資料と、僧侶としての法名とする資料があり、位置づけは資料によって異なります。出身地は、現在の中国・湖南省にあたる零陵(れいりょう)とする説が有力ですが、懐素自身は自叙帖の中で「懐素家長沙」と、長沙を自分の家と記しています。国立故宮博物院は、零陵で生まれたのちに長沙へ移り住んだという整理を示しています。
幼くして仏門に入り、禅の修行のかたわら書を学んだ懐素は、大暦7年(772年)ごろ、長安・洛陽方面へ遊学したと伝えられています。生没年については、725年ごろから785年ごろとする説が比較的広く見られる一方で、737年から799年とする学術資料もあり、確定していません。
懐素といえば、酒に酔って勢いのまま筆をふるったという逸話がよく知られています。この奔放な気質と、草書の中でもとりわけ自由度の高い「狂草」という書風が結びつき、懐素は唐代を代表する狂草の書家としての評価を確立しています。
張旭との関係——直接の師弟ではない
懐素は、同じく狂草の大家として知られる張旭と並び称されることが多い人物です。ただし、両者の間に直接の師弟関係があったと断定するのは正確ではありません。懐素自身が張旭に直接会う機会を得られなかったことを残念に思っていたという記録が残っており、代わりに懐素の親族筋にあたる鄔彤(おとう)、そして顔真卿を介して、張旭の筆法が間接的に懐素へ伝えられたと整理されています。いわば懐素は、張旭の再伝弟子、あるいは張旭の系譜を継いだ狂草の継承者という位置づけになります。
懐素と張旭を並べた有名な呼び名に「顛張醉素(てんちょうすいそ、「狂乱の張〈旭〉、酔いどれの素〈懐素〉」の意)」があります。今回の調査で確実な文献として確認できた中で最も古い用例は、時代が下った北宋の文人・蘇軾(そしょく、黄州寒食詩巻の書家)が記した「題王逸少帖」という詩の一節、「顛張醉素兩禿翁(狂乱の張、酔いどれの素、二人の禿げ頭の翁よ)」でした。これより古い用例が存在する可能性は否定できませんが、少なくとも北宋の文人にまで受け継がれる定評であったことがうかがえます。
「狂草」とは、章草・今草との違い
草書には、大きく分けて章草(しょうそう)・今草(きんそう)・狂草という3つの分類があります。
章草は、隷書から発達した最も古い段階の草書で、隷書特有の波磔(はたく、右払いを強調する筆法)の名残を留めながら、一字一字は独立性を保っています。今草は、章草から隷書らしさが薄れ、字と字の筆勢が呼応し、連続していく段階です。そして狂草は、今草をさらに奔放・連綿化し、字の大小・墨の潤渇(じゅんかつ)・運筆の速度を激しく変化させる、表現性の強い書風です。
張旭と懐素が、この狂草の代表的な書家とされるのには理由があります。両者はいずれも、字形・連綿・章法を大きく変化させる狂草を唐代に発展させた中心人物であり、飲酒や奔放な振る舞いのうちに筆をふるったという逸話が同時代・後代の詩文に集中して語られています。自叙帖自体も、張芝・王羲之らを経て張旭へと至る草書の系譜の中に自分を位置づける文章を含んでおり、懐素自身が狂草の継承者としての自覚を持っていたことがうかがえます。
ただし、狂草は単に字が乱雑・判読不能であることを意味するわけではありません。国立故宮博物院も自叙帖を、筆法の規範(規矩法度)の内側で変化を展開する書として位置づけています。草書の基本的な法則を踏まえたうえで、連綿・速度・大小・傾きを極限まで押し広げたところに、狂草という書風の本質があります。
自叙帖、日本には伝わらなかった原本

自叙帖そのもの、あるいは懐素自身の真跡が、日本の美術館・博物館に恒久的に所蔵されているという事実は確認できませんでした。しかし、日本と自叙帖との関わりが全くなかったわけではありません。
清朝末期までに、自叙帖のうち故宮本の第8〜10紙にあたる部分(30行186字)だけが日本へ渡っていたことが分かっています。金沢在住で真宗大谷派の宗務総長を務めた石川舜台(いしかわしゅんたい、1842〜1931年)が所蔵していたこの断簡は、没後に遺族の手から、富山の実業家・内山松世(うちやままつよ、号は外川)が購入しました。内山松世は昭和10年(1935年)、この断簡をもとに複製50巻を作製しています。富山県立図書館が所蔵する内山家旧蔵の文書(内山文書)には、このときに撮影されたカラー写真が残されており、また京都大学附属図書館の谷村文庫や富山県民会館分館・内山邸にも、昭和10年作製の複製が伝わっていることが確認されています。ただし、内山邸を紹介した書籍『柳原草堂』(1982年)には、その後「懐素の帖もいまない」との記述があり、断簡の原本そのものは、その後所在が分からなくなったと伝えられています。
また、台東区立書道博物館には「自叙帖(水鏡堂本)」が所蔵されています。ただしこれは、明代の文人・文徴明(ぶんちょうめい)が懐素の墨跡本を双鉤(そうこう、輪郭をなぞって写し取る技法)して石に刻んだ刻帖・拓本であり、懐素自身の筆跡そのものではありません。東京国立博物館にも、伝蘇軾筆「楷書懐素自叙巻」や董其昌(とうきしょう)筆「臨懐素自叙帖巻」といった関連作品が所蔵されていますが、これらもいずれも後世の人物による臨書・書写であり、懐素自身の原筆ではありません。
このように、懐素の真跡そのものが日本に恒久的に伝わった例は確認できない一方で、拓本・臨書・複製という形を通じて、自叙帖は日本の書道においても古くから学ばれ続けてきたことがうかがえます。
自叙帖を書くときのポイント
自叙帖の最大の特徴は、一行のうちに字の大小が激しく変化し、太く潤った点画と細くかすれた点画が同居している点にあります。臨書の際に意識したいポイントとしては
- 線の太細・潤渇の変化:墨の潤いとかすれの変化を、無理に均そうとせず自然に受け入れる
- 力を抜いた運筆:墨をたっぷりと筆に含ませ、肩や手に力を入れずに運筆する。かすれてきても、力を抜いたまま運筆を続けることがポイント
- 一気に大きく運筆する:筆を立て、紙を穂先でつかむように接触させながら、一気に大きく書き進める呼吸をつかむ
- 空間の不均一さ:字の中の空間が均一に整いすぎないよう意識することで、表情と動きが生まれる
以上が挙げられます。書譜の孫過庭が説いた「平正から険絶へ、険絶から再び平正へ」という理知的な学びの道筋とは対照的に、懐素の自叙帖には、理屈よりも勢いと呼吸をまず体で覚えるような性格があります。十七帖で単体の草書の骨格を学び、書譜で流動的な運筆に触れたあと、自叙帖のこの奔放さに挑むと、草書という書体の懐の深さをさらに実感できるはずです。
自叙帖に興味を持った方には、台北国立故宮博物院所蔵の原本を精印した一冊をおすすめしたいです。一行の中で字の大きさが激しく変化していく様子を、精細に観察できます。
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懐素
自叙帖[唐・懐素/草書] (中国法書選 43)

懐素
自叙帖 (中国法書選 43)
自分を語ろうとして、気づけば他人からの称賛で埋め尽くされてしまう、そんな人間味のある巻物だと思うと、千年以上前の書もぐっと身近に感じられるのではないでしょうか。自叙帖について感じたこと、普段取り組んでいる狂草や草書の古典があれば、ぜひ教えてください。蒲田書道教室では、仲間と一緒にさまざまな古典に触れながら学べます。ぜひ一度遊びにいらしてみませんか。
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