成熟した隷書の代表。史晨碑の特徴と歴史、学び方を解説
着任してすぐに動いた地方官
新しい任地に着いたばかりの役人が、まず何をするか。多くの場合、前任者からの引き継ぎを確認し、しばらく様子を見てから動き始めるものではないでしょうか。ところが後漢時代、魯国(現在の中国・山東省曲阜〈きょくふ〉周辺)に着任した史晨(ししん)という地方官は、着任してすぐに祭祀を執り行い、廟の修繕にまで着手しています。
その働きぶりを刻んだのが「史晨碑(ししんひ)」です。しかも面白いことに、この石碑は一つの石の両面に文字が刻まれていながら、裏面の方が表面より一年古いという珍しい成り立ちを持っています。裏面には史晨が着任直後に実行したことが、表面には、その一年後に朝廷へ宛てて書いた一通の訴えが刻まれているのです。
この記事では、史晨碑の成立背景、表裏に刻まれた一年のずれの意味、書の特徴、臨書のポイントを解説します。
史晨碑とはどのような石碑なのか
史晨碑は、後漢の霊帝の時代、建寧元年(けんねい、168年)から建寧2年(169年)にかけて刻まれた石碑です。碑文の主人公は、魯国(現在の中国・山東省曲阜〈きょくふ〉周辺)の相(しょう、地方長官にあたる官職)であった史晨(ししん)という人物です。
碑は一つの石の両面に文字が刻まれており、便宜上「史晨前碑」「史晨後碑」と呼び分けられています。正式名称は、前碑が「漢魯相史晨奏祀孔子廟碑」、後碑が「漢魯相史晨饗孔子廟碑」といいます。前碑は建寧2年(169年)3月に17行・1行36字で、後碑は建寧元年(168年)4月に14行・1行36字で刻まれました。
碑は現在、山東省曲阜市にある曲阜漢魏碑刻陳列館(孔子を祀る孔廟の敷地内に由来します)に所蔵されています。碑文を清書した人物の名は伝わっていません。後世には後漢の書家・蔡邕(さいよう)の筆によるという説もありますが、これは伝承の域を出ず、確かな証拠はありません。
史晨碑、行動が先で訴えは後

史晨前碑・後碑を読み解くうえで鍵になるのが、先ほど触れた一年のずれです。年代が古い方の後碑には、史晨が魯国に着任してまもなく実際に行ったことが記録されています。建寧元年に着任した史晨は、ただちに秋の祭祀(秋飨〈しゅうきょう〉)を執り行い、泮宮(はんきゅう、孔子を祀る学び舎)で酒を酌み交わしました。さらに、孔子ゆかりの孔瀆・顔母井といった旧跡が既存の市場から遠く不便だったことから、昌平亭のそばに新たに市(会市)を設け、参拝する人々の便をはかり、廟の修繕も進めています。
一年後に刻まれた前碑には、これとは違う種類の文章が刻まれています。史晨と長史(ちょうし、副官にあたる役職)の李謙(りけん)が連名で朝廷に宛てた上奏文です。内容は、国家の土地神・穀物神を祀る社稷(しゃしょく)の祭祀と同じように、孔子廟の春秋の祭祀にも朝廷から正式に穀物・費用を支給してほしいという願い出で、孔子を称える詩も添えられています。
つまり史晨は、着任してすぐに祭祀・修繕・市の整備を実行し、その実績を踏まえたうえで、一年後にようやく「今後も続けられるよう、制度として費用を認めてほしい」と朝廷に訴えたことになります。行動が先にあり、それを制度にしてほしいという訴えが後から続く。碑の裏表が、時間の流れとは逆向きに並んでいるのは、そうした経緯の結果だと考えられます。
「孔廟三碑」としての位置づけ
史晨碑は、同じ曲阜の孔廟に伝わる乙瑛碑(153年)・礼器碑(156年)とあわせて「孔廟三碑」と総称されることがあります。3碑とも、孔子廟の祭祀・管理に関わる行政上の記録という共通点を持ちながら、乙瑛碑は祭祀を担う役人の新設を、礼器碑は祭祀用具の整備と建立への協力者の記録を、そして史晨碑は春秋の祭祀そのものの実施と、その費用を制度化してほしいという訴えを主題としています。年代で見ると、乙瑛碑・礼器碑に遅れること十数年、史晨碑は孔廟三碑の中で最も新しく建てられた碑でもあります。
史晨碑の書の特徴
史晨碑の書風について、日本の文化遺産オンラインは「平静な書きぶりながら、波勢の運筆は流れるようで、波磔には伸びやかさがあり、八分隷の表現技法が高度に洗練されたもの」と評しています。北京の故宮博物院も「字体は謹厳でありながら流麗、字形は横に広くゆったりとし、波磔はやや控えめで、結体は密に整い、全体として古雅で力強い」として、八分書の極めつきの一つに数えています。
歴史的な評価も高く、明代の学者・郭宗昌は「分法(隷書の筆法)は雅やかで世俗を超えており、百代の模範とするに足る」と評し、清代の学者・方朔は「書法は厳粛で奥深く、沈着で古拙な力強さがあり、結構と意趣がともに備わった、まさに廟堂にふさわしい品格であり、八分(隷書)の正統である」と記しました。方正(ほうせい、字形が四角く整っていること)を基調とする書風に分類され、後漢の隷書が成熟・規範化していく過程を代表する古典として、隷書を学び始める人の入門範本としてもしばしば薦められています。曹全碑が優美で流れるような線質、乙瑛碑が方整で法度の厳格な規律正しさ、礼器碑が細身で切れ味のある線質を特徴とするのに対し、史晨碑は謹厳さと流麗さを併せ持つ、落ち着いた調和の取れた書風だといえます。
日本に伝わる史晨碑
史晨碑の拓本は、日本にも伝わっています。滋賀県東近江市にある観峰館(かんぽうかん)には、史晨後碑の拓本(縦168.0センチ×横85.2センチ、目録番号「拓整-0042」)が所蔵されています。
また、史晨碑を学ぶ際に広く使われている二玄社「中国法書選6」は、三井氏聴冰閣(ていひょうかく)旧蔵の精拓本を初めて影印したものです。聴冰閣は、近代の三井財閥で要職を歴任した新町三井家9代・三井高堅(1867〜1945年)が蒐集した中国古拓本のコレクションで、礼器碑の記事でも触れた通り、世界屈指の規模を誇ることで知られています。同じ孔廟三碑のうち、礼器碑・史晨碑という二碑の標準的な参考図書が、いずれも同じ日本の収集家のもとにあった拓本を底本としているのは、興味深い事実です。
史晨碑を書くときのポイント
臨書の際に意識したいポイントとしては
- 蔵鋒(ぞうほう)の起筆:穂先を紙に対して垂直に、上から「トンと」落とすように入れる
- 水平垂直の縦横画:縦画は中心に向けてほぼ垂直に、横画はやや右上がり気味に引く
- 扁平な字形:縦長ではなく、横に平たく書くことを基本とする
- 波磔(はたく)は右下方に集中させ、全体でバランスを取る:右に長く伸びる横画の終筆は、右下方向へ強く払い出す一方、左上方の右上がりの横画でその勢いを受け止めるように意識する
- 墨をたっぷりと含ませ、力を抜いて運筆する:謹厳でありながら流麗という史晨碑特有の調和は、力みからではなく、十分な墨と抜けた力から生まれる
- 脈を切らない:行書を書くときのように、できるだけ筆の穂先が紙から離れないよう意識を続けると、線に生きた表情が出る
以上が挙げられます。史晨碑は、整いすぎず崩れすぎない、おだやかで調和の取れた書風から、隷書を学び始める方の入門範本としてもしばしば薦められる古典です。曹全碑・乙瑛碑・礼器碑とあわせて見比べることで、同じ後漢の隷書でも、碑ごとにこれほど異なる表情を持つのかと、隷書という書体の奥深さがより立体的に見えてくるはずです。
隷書を学び始めたばかりの方にとっては、整いすぎない字形の呼吸をつかむまでが一番の難所だと思います。史晨碑は謹厳さと流麗さのバランスが絶妙な古典なので、最初の一冊に選ぶ古典として個人的にもよく薦めています。中国法書選であれば、前碑・後碑とも精細な拓本で確認できます。
![史晨前碑・史晨後碑[後漢/隷書] (中国法書選 6)](https://m.media-amazon.com/images/I/81iDqNK2NkL._SY522_.jpg)
史晨前碑・史晨後碑[後漢/隷書] (中国法書選 6)

史晨前碑・史晨後碑 (中国法書選 6)
石碑に刻まれた文字から、千八百年以上前にそこにいた一人の役人の働きぶりが伝わってくるのは、古典を学ぶ面白さの一つだと感じます。隷書を学んでいる方、これから始めてみたい方は、どんな古典に惹かれますか。蒲田書道教室では、そうした話をしながら、仲間と一緒に古典の臨書や作品づくりに取り組んでいます。ぜひ一度遊びにいらしてみませんか。
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