書譜とは?理論と実演を兼ねる孫過庭の草書
書譜、書家の生没年すら不詳
唐代の書家・孫過庭(そんかてい)が著した「書譜(しょふ)」は、草書を学ぶ人であれば必ず一度は手に取る古典です。ところが、この書譜を書いた孫過庭という人物について、正史に伝記は残っておらず、生まれた年も没した年も確定していません。648年から703年とする説、647年前後から690年前後とする説など、研究者によって見解が分かれており、唯一の手がかりは、親友であった詩人・陳子昂(ちんすごう)が記した墓誌銘だけです。
書を学ぶための教科書として千三百年近く読み継がれてきた書物の著者について、こうした基本的な事実さえ定まっていないというのは、意外に感じられるのではないでしょうか。この記事では、書譜という書物の成立背景と理論の核心、孫過庭という人物をめぐる不確かさ、草書としての特徴、そして臨書のポイントを解説します。
書譜とはどのような書なのか
書譜は、唐の垂拱3年(687年)に孫過庭が著した書論(書についての理論的な文章)です。全長約9メートルにおよぶ巻物に、草書で350行を超える長文がしたためられています。内容は、書の本質・学習の心得・運筆の技法・古今の書家への評価など、書論として体系的に組み立てられています。
現在は台北の国立故宮博物院に所蔵されています。
理論書でありながら、それ自体が草書の実演でもある
書譜が特別な位置づけを与えられている最大の理由は、理論そのものが草書の実演になっているという点です。
ほかの多くの古典的な草書作品は、原本が失われ、石に刻まれた拓本を通してしか伝わっていません。十七帖(王羲之の尺牘を集めた法帖)も、唐代の原石自体はすでに失われており、現在に伝わるのは拓本かその翻刻に限られます。一方、書譜は孫過庭自身の筆による真跡(しんせき、本人が直接書いた実物)が、現代までそのまま伝わっています。書論という性格上、本人が実際にどのような運筆で文字を書いていたかを、理屈ではなく筆跡そのもので確認できるという、二重の価値を持つ書物なのです。
書譜が説く、書についての考え方
書譜の内容は、単なる技法の解説にとどまりません。孫過庭は、張芝(ちょうし)・鍾繇(しょうよう)・王羲之・王献之という漢・晋の四大書家の書風を論じ、「昔の書は質朴で、今の書は妍美(優美)である」という当時よくあった評価に対し、「質も妍も時代とともに移り変わるものであり、尊ぶべきは、古い流儀を保ちながら時代の流れに逆らわず、今の流儀に寄り添いながらも浮薄な弊に陥らないことだ」という趣旨の考えを示しています。古いものを無条件に尊ぶのでも、新しいものに安易に流れるのでもない、変化そのものを書の歴史の摂理として捉える視点です。
学習論としては、「初めは字形の正しさ・平正さを求め、それが身についたら険絶(けんぜつ、思い切った変化)を追い求め、険絶を極めたら再び平正へ帰る」という三段階の過程を説いています。基礎から逸脱への挑戦、そして逸脱を経たうえでの成熟した平正への回帰という、書の学びの進み方そのものを示した一節です。
孫過庭、生没年すら不詳な書家
書譜を書いた孫過庭については、正史に独立した伝記が残っていません。分かっているのは、名(諱、本名)は虔礼(けんれい)、字(あざな)は過庭といい(「孫過庭」という呼び名自体が、姓と字を組み合わせたものです)、本人は呉郡(現在の中国・江蘇省蘇州一帯)の出身と称していたこと、そして官職としては右衛胄曹参軍・率府録事参軍という、いずれも品位の低い役職についたことがあるということです。出身地については、本人の自称とは異なる説もあり、これも確定していません。
生没年についての唯一の手がかりは、親友であった初唐の詩人・陳子昂が記した「率府録事孫君墓誌銘」と「祭孫録事文」です。しかし、この墓誌銘がいつ書かれたのかという年代さえ確定した手がかりにはならず、具体的な生没年については研究者の間でも諸説あり、648年から703年という説、647年前後から690年前後という説など、一致を見ていません。本記事では、現時点でこの点が確定していない事実そのものを、あえてそのままお伝えします。
書譜の本文そのものにも、未解明な点が残されています。文章の末尾では「全体を上下二巻・六篇に分けて記した」と述べられていますが、現存する本文には、その「下巻」や「六篇」という区分が実際には見当たりません。後半に進むにつれて筆の運びが速くなっていく様子も、孫過庭が完成稿として書き上げたものなのか、それとも未完のまま筆を置いたものなのか、研究者の間でも見解が分かれています。千三百年読み継がれてきた古典でありながら、その成立過程そのものが、いまも研究の対象になっているのです。
書譜の断簡、空海が書き写したと伝わる

書譜には、日本と深く結びついた意外な伝来があります。皇居三の丸尚蔵館(2023年に管理・運営が宮内庁から国立文化財機構へ移管された、皇室に伝わる美術品を収蔵する施設)には、「孫過庭書譜断簡」という作品が所蔵されています。
これは、平安時代(9世紀)に紙へ墨で書かれた、書譜の写本の断簡(一部分)です。弘法大師・空海(774〜835年)の筆によるものと伝えられており、これは三の丸尚蔵館だけの説明ではなく、京都国立博物館の展覧会出品目録や香川県立ミュージアムの資料など、複数の独立した機関でも「伝空海筆」として記録されています。空海は唐に渡った際に最新の書の知識・技法を日本へ持ち帰ったことで知られていますが、この断簡は、唐代の書論の最高峰である書譜が、空海という人物を通じて平安時代の日本にまで伝わっていたことをうかがわせる史料です。明治13年(1880年)に京都の毘沙門堂から皇室へ献上され、現在は東京の皇居東御苑内にある三の丸尚蔵館の収蔵品となっています。
なお、三の丸尚蔵館はこの断簡を「空海の真跡を伝える精度の極めて高い模本」と説明していますが、空海自身の直筆か、それを精密に伝えた写しかという細部まで踏み込んで裏付けている独立した機関の記述は、今回の調査では確認できませんでした。「空海の筆によるものと伝わる」という伝承の範囲で捉えるべき史料であることを付け加えておきます。
書譜を書くときのポイント
書譜の草書は、十七帖のように一字一字が独立して完結する「単体」の書き方とは異なり、点画と点画をつなぐ細い連絡線(牽絲、けんし)が多く使われており、全体として流れるような躍動感を持っています。それでいて、一つの連綿の塊として崩れ切ってしまうわけではなく、字形の骨格を保ったまま、滑らかな動きを帯びているのが特徴です。
臨書の際に意識したいポイントとしては
- 筆速の変化:巻物の前半は落ち着いた運筆ですが、後半に進むにつれて筆の運びが速くなっていく様子をたどる
- 牽絲の軽さ:点画をつなぐ細い連絡線は、主となる太い点画よりも軽く・細く書き分ける
- 転折(てんせつ、方向を変える部分)の柔らかさ:角を立てず、丸みを持たせて無理のない自然なまとまりに仕上げる
- 力を抜いた運筆:肩や手に力を入れず、穂先に墨をたっぷり含ませて書く。かすれてきても、力を抜いたまま運筆を続けることがポイント
- 字の中の空間の不均一さ:空間が均一に整いすぎないよう意識することで、字に動きと表情が生まれる
以上が挙げられます。孫過庭自身が書譜の中で説いた「初めは平正を求め、平正が身についたら険絶を追い求め、険絶を極めたら再び平正へ帰る」という学びの道筋は、臨書に取り組む際の心構えとしてもそのまま参考になります。十七帖で単体の草書の骨格を学んだあと、書譜でより流動的な運筆に触れると、草書という書体の幅の広さがより立体的に見えてくるはずです。
書譜に興味を持った方には、台北国立故宮博物院所蔵の原本をそのまま収めた一冊をおすすめしたいです。理論と実演が一体になったこの法帖ならではの、筆速の変化まで含めて精細に観察できます。
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孫過庭
書譜[唐・孫過庭/草書] (中国法書選 38)

孫過庭
書譜 (中国法書選 38)
理論でありながら、それ自体が草書の最高の実演にもなっている書物というのは、考えてみるとなかなか類を見ません。書譜について感じたこと、普段取り組んでいる草書の古典があれば、ぜひ教えてください。蒲田書道教室では、仲間と一緒にさまざまな古典に触れながら学べます。ぜひ一度遊びにいらしてみませんか。
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